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ダクトとはABOUT

ダクトは気体を運ぶ管。身の回りの多くの場所に設置されています。

ダクトは「通風管」や「風導管」とも呼ばれる、気体を運ぶための管のことです。私たちの身の回りのさまざまな場所に設置されており、新鮮な空気を取り入れたり、煙・湯気・臭いなどを外に排出したりといった役割を果たしています。現代の快適な生活は、ダクトなしに成立しないといっても過言ではありません。近年の建物は昔に比べて気密性が高くなっているため、ダクトの果たす役割も大きくなっているといえるでしょう。

ダクトの働き

ダクトの働きは、大きくわけて以下の3つです。

  • SUPPLY AIR / RETURN AIR空調

    屋内の温度を一定に保ちながら、常に空気を入れ替えます。ビル・商業施設・コンサートホールなどの利用者の多い施設には欠かせない設備です。空調設備と合わせ、設置場所に合わせた柔軟な設計を行うことで、快適な空間づくりを実現しています。

  • OUTDOOR AIR換気

    汚れた空気とフレッシュな空気を入れ替え、空間を衛生的に保ちます。湿度・粉塵・カビなどの原因となる汚れた空気とキレイな空気を入れ替えています。飲食店のトイレをはじめ、食品工場や精密機械・工場・空港・病院のクリーンルームなど、様々な場所で重要な役割を果たしています。

  • EXHAUST AIR / SMOKE EXAUST AIR排気・排煙

    火災時、最も危険と言われる煙を排出するため、ビルやマンションなどの施設に必ず設置されます。消防法や建築基準法によって喚起や排煙、風量などの基準値が定められている中で、最も効率的に排気が行える導管配置技術が求められます。また、飲食店の排煙ダクトなどは近隣環境を加味して設置する必要があります。

ダクトの歴史HISTORY

日本では明治期に建築物に冷暖房が導入されるようになり、それと同時にダクトが敷設されるようになりました。現在のようなダクト技術の形になったのは明治32年に着工した赤坂離宮(現迎賓館)からといわれています。それまではどちらかというと「板金(ブリキ)職人」の技術を流用利用して作られていました。

赤坂離宮(現・迎賓館)の完成

明治20年代から米国製.英国製の鉄板を輸入して用いられていましたが、明治末期になると官営八幡製作所をはじめとする国産亜鉛鉄板の使用が開始されるようになりました。
長い間、すべてが手作業で行われていたダクトの製作も、昭和30年代以降は各種工作機械を使用して工業化が図られるようになり、ダクト製造.工事業は、建設業種の一つというだけではなく、鉄鋼や工作機といった他産業と密接な相互関係を保ち、発展をしてきました。

迎賓館 赤坂離宮
ダクトの歴史年表を見る
内容 備考
1868~1912年 ダクト技術は、ブリキ職人などと呼ばれる板金職人の世界 1887年頃 英国・米国から亜鉛鉄板の輸入開始
1901年 官営八幡製鉄所操業開始
1906年 亜鉛鉄板の国産開始
1908年 赤坂離宮の現場で米国のダクト技術を習得
1912~1929年 本かぜ(甲はぜ、角甲はぜ).手折りダクト
1929~1956年 ピッツバークはぜ.手折りダクト 1929年 三井本館ピッツバーグはぜダクト採用
1938年 米国でピッツバーグはぜ折り機の特許申請
1952年 1953年 亜鉛鉄板コイル国産化(八幡製鉄)
1956~1960年 ピッツバーグはぜ.機械折り 1957年 国産はぜ折り機の市販開始
1958年 樹脂フィルム積層銅板の市場投入 (商品名「ヒシメタルエアライナー」
1960年 SMACNA工法とともに、Dスリップ.Sスリップ.ボタンパンチなどの新技術 採用
スパイラルダクト導入
1961年 ピッツバーグはぜ折り機が国産化
1965年 関東空調工業会の設立
1968年 フランジダクトのリベッティング半機械化(リベッタの出現)、東京興業貿易商会が米国よりマイクロウールダクト輸入開始。これをきっかけにグラスウールダクト国産化始まる 霞ヶ関ビル完成(超高層時代の幕開け)
1970年 ファイブリダクトマシン(エンゲル社製.ロックフォーマー社製).鉄板コイル 自動切断機を導入 固定式全熱交換機(商品名「ロスナイ」)
ダクトサイズが完全mm表記になる
1972年 ダクトレス空調方式の第1号誕生 天井全面吹出し.床下吹出し方式
1975年 アスベスト(石綿)ガスケット使用禁止。全国ダクト興業団体連合会(全ダ連)の設立 以降、ロックウール→ガラス繊維の使用に移行
1978年 国産共板フランジ工法(TF工法)加工機械の登場、デッキ工法スラブの導入 新東京国際空港。サンシャイン60完成。建設工期の大幅短縮
1979年 スライドオンフランジ(SF)工法を西独.MEZ社より導入
1982~現在 ビルマルチ空調方式の開発.普及 空調用大型ダクト量が激減
1984年 米国より共板フランジ工法(TF工法:TDC.TDF)の加工機械を導入。以降、国産 共板ダクト(TFD.TSD.NSD.)が相次いで開発される 1983年 建築板金(ダクト板金作業)の第1回技能検定実施
1985年 プラズマ自動切断機、ネスティングによる板取図登場。ダクト工事の省人.省力 化時代到来
1986年 CAD施工図の運用開始 1987年 第1回空調ダクト機材展(関東空調工業会主催)開催
1988年 東京ドーム完成
1989年 ダクトのCAD/CAM試行。建設省標準仕様書にコーナーボルト(CB)工法(ダクト幅1200mmまでの条件付き)が新規採用 1990年 第2回空調ダクト機材展
1991年 共板工法の一種「P.C.D」の成形機を欧州より輸入。ダクトの製作加工と現場 での取付け作業の完全分離が明確化。1992年のCAD/CAM浸透の兆しが見え始める 新東京都庁舎完成
1993年 建設省標準仕様でコーナーボルト工法の長方形ダクト幅1500mまでの使用が許可される 第3回空調ダクト機材展
福岡ドーム、横浜ランドマークタワー完成
1995年 関東空調工業会企画委員会編「標準ダクトテキスト」発刊 1966年 第4回空調ダクト機材展
1998年 第5回空調ダクト機材展
2000年 タムラカントウがタイルリブダクト(省資源化工法)開発 開発と同時に同業他社に使用許可。採用が急速に拡大
2001年 免震ダクト(層間変位ダクト)の導入 1995年の阪神.淡路大震災が引き金
2003年 ダンボールダクト商品化 商品名「ル.エコダクト」
2004年 新富士空調がゼットリブダクト成形機(1号機)を完成 以降全国の専門業者に100台以上納入、多数の現場で採用
2005年 新富士空調がスピンはぜ折り機を完成。折り畳みダクトの製造開始 ダクト板厚の薄肉化達成
2006年 ダクト基幹技能者認定講習会始まる
2009年 ダクト基幹技能者講習会が国土交通省認定となる
2013年 全ダ連がダクト資料館(神奈川県川崎市)を創設

ダクトができるまでFLOW

ダクトは鉄板の板の厚さ0.5㎜~1.6㎜の薄い板をプラズマ切断機で様々な形に切り、組み立てていくというオーダーメイド製品です。

  • STEP1データ入力
    CAD入力
  • STEP2切断
  • STEP3ハゼ加工
  • STEP4ハゼ差し込み
  • STEP5コーナー
    取り付け
  • STEP6カシメ機で
    締める
  • STEP7仕上げ
  • STEP8完成

現場から製作伝票を受け取り、CADによるデータを入力し、プラズマ切断機に送信します。

プラズマ裁断機を使い、自動で切断します。

ハゼ折り機によりハゼ加工を行います。

ハゼを利用してダクトの4面を組み立てます。

共板の四つ角にコーナーを取り付けます。

カシメ機を使って締めます。

ダクトシールを塗り、誤差がないか確認します。

完成となります。

ダクト関連動画MOVIE

  • ダクト製作 S管編折り曲げ~組み立て